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カラのソラとハチノヘルーパ


昨年12月中旬に発行予定だった『八戸フォトジャーニー』第6号は予定から約3週間遅れの今月8日やっと発行にこぎ着けた。今号は海と空、それらの色をテーマに「カラのソラとハチノヘルーパ」と題した。八戸の海といえば、蕪島、種差、白浜、大須賀など、どこも心ひかれる美しい海岸ばかりだ。しかし、海に行く時、海を見たいと思う時、何かを海に求めているのではないか?海とつながる空にも。悩み事がある時水平線を眺めると、自分の悩みなどちっぽけなものに思えるのは、単に海の面積的な大きさだけが与えるものではなく、それ以外にも何かあるような気がしていた。

海や空について考えている時、「ルーパ」という言葉と出合ってしまった。ルーパとは、サンスクリット語で「色」を指し、目に見えるもの、形づくられたもの、という意味らしい。そしてここで言う色は、刻々と変化して実体がないので「空・くう」だという。「空・くう」とは、空っぽとか、何もないという意味ではなく、全てのものがお互いに関係し合い存在していて単独に存在するものはない。根本的には一つである。全部を一つと表現することとしていて、それを空という。その空から生み出され、形に表れたものが色だという。いわゆる仏教の教えの話である。私はこの記事を読んだ時、語弊があるかもしれないが、面白いと思った。写真と関連付けて表現できないかと思い、生まれた造語が「ハチノヘルーパ」だ。ハチノヘルーパには、八戸の色彩や美しさ、現象、目に見えるものの儚さという意味を含ませている。見ているものは感覚がとらえたものだとするなら、見えないものも存在するのではないか。全ては一つなのであるなら、そんな現象も起こり得るだろう。今まで写真を加工することは避けてきた。加工することにより、写真ではなくなると思っていたからだ。しかし今回は、色を調整したり、手を加えた写真もあえて掲載した。そうすることで、自然の色の美しさや色が及ぶもの、これまでと違う視線、視座、視野で見た八戸を伝えられるのではないかと思った。

半年以上も前から構想を練っていたにもかかわらず、写真のセレクトの段階で迷いから解放されない日が続いた。撮り直すしかないと、11月の下旬、4時に起床。夜明け前、八戸大橋の上で日の出を待った。日曜日ということもあり、舘鼻岸壁朝市に出店する人たちが集い始めていた。朝陽がのぼりはじめると、紫味を帯びた濃い紺色の空は少しずつ、ゆっくりと明けていき海面を橙色に照らしはじめた。自然の色は美しい。今見ているもの全てがハチノヘルーパ。

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